むねた裕之
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代表質問―1970年の飛行制限の通知どおり、国に羽田新飛行ルートの撤回を!

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6月19日、日本共産党を代表して、宗田裕之市議が代表質問を行いました。羽田新飛行ルートについて、市長に質しましたので、質疑を紹介します。

●質問(宗田)

羽田新飛行ルート案について伺います。

この4月に航空自衛隊のF35戦闘機の墜落事故が発生しました。また3月にはエチオピアで乗員乗客157人全員が死亡する墜落事故、5月にはモスクワで落雷により乗員乗客41人が死亡する墜落事故が、いずれも離陸直後に起きています。羽田空港を離陸直後の航空機が通ることが計画されている臨海部コンビナート地帯で、航空機の墜落や落下物があった場合についてどのような危険があると考え、どのような対応を想定しているのか、消防局長に伺います。

1966年3月10日、本市議会で「臨海工業地帯の飛行禁止に関する意見書」が採択されました。石油化学工場の多くに一触即発の危険物施設があり航空機が墜落した場合の惨事は想像を絶するものがあり、市民の安全を守るため「即刻本市臨海工業地帯を飛行禁止区域に指定されるよう強く要望する」という内容で、直後の3月29日にも同趣旨の請願が全会一致で採択されています。

本市議会発行の「川崎市議会史」は、臨海工業地帯での「飛行禁止は議会、理事者をあげての運動とな」ったこと、「上空飛行の全面禁止は困難な事情にあったが、市長からはそれならば飛行高度は少なくとも1000m以上とし、低空飛行はやめるべきで、この線でさらに議会とともに国に働きかけていきたい、と述べている」ことを記しています。議会の総意として臨海工業地帯の飛行禁止を求め、当時の金刺市長も少なくとも1000m未満での低空飛行をやめるよう国に求めた結果、1970年10月に東京航空局長は「できる限り川崎石油コンビナート地域上空の飛行を制限するよう指示した」と回答し、「原則として石油コンビナート地域上空の飛行を避ける」という東京国際空港長への通知に至りました。

今回の羽田新飛行ルートは、東扇島を過ぎた辺りでようやく高度900mを超えるもので、しかも3分間隔で1日80便ほどが離陸するというものであり、当時の議会や市長の求めた立場からも、先ほどの通知の立場からも、かけ離れている計画です。わが党の12月議会の代表質問に、市長は「国の運用として飛行が制限されて」いる、と1970年の通知があるため現在もコンビナート上空の飛行を制限する運用がされていることを認めました。この通知の立場でコンビナート上空の低空飛行禁止を求めるべきです。市長に伺います。

◎答弁(消防局長)

石油コンビナート等特別防災区域において航空機からの落下物があった場合には、危険物施設等の火災や破損及び危険物等の漏洩などが、さらに、航空機が墜落すると、複合的な災害に進展し、多数の死傷者の発生が危倶されるところでございます。

また、このような災害発生時には、状況に応じて必要な消防、救助、救急部隊を早期投入するほか、災害の拡大防止と早期制圧を図るため、関係局をはじめ、自衛防災組織、共同防災組織、広域共同防災組織及びその他の防災関係機関と緊密な連携体制を確保して、有効適切な消防活動を展開してまいりたいと存じます。

◎答弁(市長)

国が運用している川崎石油コンビナート地域の飛行制限の取扱いにつきましては、今後、国か.ら示されるものと認識しております。

本市といたしましても、羽田空港の機能強化の必要陛は認識しているところでございますが、引き続き、飛行制限の取扱いを含め、新飛行経路の騒音や安全対策等、必要な対応について、国の責任において確実に実施することを求めてまいります。

●質問(宗田)

市長の答弁では「騒音や安全対策を国の責任で実施することを求める」とのことでしたが、あくまで新飛行経路を前提としたものでした。

離陸直後に石油化学コンビナート地域の上空を通るようなルートを持つ空港など世界に他にありません。「発着回数」「乗降客数」「貨物取扱」で上位の世界の主要41空港について調査したところ、付近にコンビナートがある空港は羽田空港の他にはシンガポール・チャンギ国際空港しかなく、そのチャンギ空港も最寄りのペンゲラン石油コンビナートまで東に約14キロメートル離れています。南北に走る滑走路の先はいずれも川と海の上で、コンビナート上空を飛ぶものではありません。

石油コンビナート上空を通行する羽田新ルート案自体が、世界に類例がなく到底認められるものではありません。ましてや、そのうえに3分間隔で1日80便も離陸し、最も事故の多い離陸直後にコンビナート上空を飛行する計画など、コンビナート立地自治体の長として認めるべきではありません。かつての市長が飛行制限を約束させ、その飛行制限が現在も有効なのですから、新ルート案の撤回、計画の変更を求めるべきです。市長に伺います。

消防局長は「落下物があれば危険物の漏洩などの危険、航空機が墜落すると複合的災害が発生し多数の死傷者が予想される」と答弁されました。東日本大震災の際、3月11日に石油コンビナートで爆発火災があった市原市では、住民約8万5千人に避難勧告し1,142人が17カ所の避難所に避難する事態になりました。火災は市原市消防局はじめ、川崎市、横浜市、千葉市、三重県四日市市、東京消防庁などから応援が入って、ようやく10日後の21日に鎮火できたとのことです。

どれほどの落下物対策を行ったとしても完全にゼロにすることはできません。万一落下物や飛行機自体の墜落などがあれば市民の犠牲は計り知れません。最大の防災対策は飛行機を飛ばさないことです。コンビナート防災の観点からも、わざわざ大災害のリスクを増やすような、コンビナート上空への飛行計画の変更を政府に求めるべきです。市長に伺います。

◎答弁(市長)

羽田空港の機能強化の必要性につきましては、本市といたしましても、認識しているととろでございますが、引き続き、国の責任により、新飛行経路の必要な対応とともに、地元への丁寧な説明を求めてまいります。

●質問(宗田)

これまでの質問で、離陸直後にコンビナート上空を通る危険な経路が羽田新ルートであり、そのような例は世界の主要空港の中で他にないことを明らかにしました。この地域でひとたび航空機事故や落下物があれば、複合的な災害に進展し、多数の死傷者が発生するような大変な事態となることも明らかにしてきました。しかし市長は「国の責任で騒音や落下物などへの安全対策を求める」と述べるだけで、市としての対応についてはまったく触れませんでした。これではコンビナート立地自治体の市長として、市民の生命と安全に責任を持たない対応だと言わざるを得ません。

先ほど紹介した1966年3月の臨海工業地帯での即刻飛行禁止を求めた本市議会の意見書に対し、当時の運輸省は4月に「飛行訓練の禁止やB滑走路での小型機の飛行コース変更を通達した」と回答しましたが、この通達が実行されていなかったことから、市長を先頭に議会と理事者あげての運動となり、1970年の飛行制限の通知に至ったという経過があります。

落下物や安全対策をどれほど行ったとしても完全にゼロにすることはできません。そして、コンビナート地域ではその一度の事故だけでも市民や産業が致命的な被害をうける大災害に至ります。だからこそ当時の市長も理事者も国に対して、対応をあらためるよう要望したのではありませんか。コンビナート立地自治体の市長として、住民と地域の産業を守るために、羽田新飛行ルート計画を改めるように国に求めるべきではないでしょうか。市長に伺います。

◎答弁(市長)

本市といたしましては、羽田空港の機能強化の必要性は認識しているところでございます。

今後も引き続き、国に対し新飛行経路の必要な対応をしっかりと求めてまいります。

●最終意見

コンビナート立地自治体の市長として、地域の住民と産業を守る立場で羽田新飛行ルート計画の撤回を国に求めるべきと質問したのに対し、またしても市として市民の生命と安全に責任を持つ答弁はありませんでした。

落下物や航空機事故は完全にゼロにすることはできません。2017年の例では南風の日は約130日、1日60便なので、年間約8千便が離陸する計画です。数十年、百年のスパンで見れば何らかの事故はどうしても起こります。15日午後には、羽田空港への着陸の際に別の飛行機が滑走路を横切る重大インシデントが起こりました。こうしたヒューマンエラーも起こりうるのです。もし事故が起きてから「あのとき認めなければよかった」といっても遅いのです。当時の市長・理事者・全議会の働きかけで実現した1970年の飛行制限の通知の立場を貫いて、市民の生命と安全を守るために、新飛行ルート案の撤回・変更を政府に求めるよう強く要望します。